方丈記と平家物語

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。… 朝に死し、夕べに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。(方丈記、鴨長明)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。(平家物語、作者不詳 [注1])

いずれも有名な古典の冒頭部分である。成立年であるが、前者は1212年、後者は1240年以前とのこと。ほぼ同時期の作品と考えていいのだろう。「ただ水の泡にぞ似たりける」と「偏(かたえ)に風の前の塵におなじ」、ほぼ同じことを言っている。これらの著者はいずれも平安時代末期の平家の繁栄と没落、鎌倉武士の勃興をこの目で見ている。この世の無常は思弁的なものではなく、肌身に感じるものであっただろう。いつの時代でも現世の無常を考察することは可能である。しかし近代以前のこの時代には、人の生死、一族の栄枯盛衰が誰の目にもこのようにはっきり見えていたのだろうと思う。病気はただちに命に関わる問題だろうし、戦争は日常である。人生のあらゆる場面で生死、すなわちこの世とあの世があらわに可視化されていた時代だ。

一方、現代は医療や福祉制度の充実による健康寿命の確保、さまざまな社会的刺激により、時間が過ぎることを忘れる仕組みづくりがなされている。長明は57歳のときに方丈記を書き終えて61歳で没している。現代人は50代どころか、70歳になっても無常観を感じる環境にはないのではないか。しかしながら、否応なしに肉体的な劣化が始まる。75歳になって後期高齢者医療制度に組み込まれる。周りを見渡すと、同年代が介護保険を使うようになった、整形外科的な歩行困難となった、糖尿病、パーキンソン病、突然死、癌死などということが耳に入る。年賀欠礼状が何枚も来る。妻が亡くなる、弟を失うなど、なるほどそのような時代に入ってきたということがようやく実感される。長明57歳、私77歳であるが、現実は間違いなく訪れる。

時間が流れ、生起したさまざまな事項は片付いているが、心中穏やかな老後という訳にはいかない。年金があり、それなりの健康も授かっているのに、この世に生きることの難しさと格闘しているといえばいいのか。やはり結局は、春の夜の夢のごとし、風の前の塵に同じ、ということになるのだろう。長明は最後に自分に問いかけるように「一期の月かげ傾きて」と「静かなる暁」の二節を綴り、筆を置いている(資料1, pp.35-36)。方丈記冒頭の一文は日本古典で最も有名なのであるが、むしろこの最後の部分が、彼が本当に言いたかったことではないのか。彼が亡くなるのはこのように書いてから4年後である。人生の終着点に近い私にも迫ってくる言葉たちである。

 そもそも、一期の月かげ傾きて、余算(残りの寿命)の闇の端に近し。たちまちに、三途の闇に向かはんとす。なにのわざをかかこたむとする。仏の教への給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂に着するも、さばかりなるべし(そのくらいでとどめておくべき)。いかが、要なき楽しみをのべて、あたら、時を過ぐさむ。

 静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから、心に問ひていはく、世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて、道を行はむとなり。しかるを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり。住みかはすなわち、浄名居士(インドの修行者)のあとをけがせりといえども、たもつところは、わづかに周梨槃特(釈迦の弟子)が行だにおよばず。もし、これ貧賤の報のみづからなやますか。はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし。ただ、かたはらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ。時に、建暦の二年、弥生のつごもりのころ、桑門の連胤(長明の法名)、外山の庵にして、これをしるす。

[付言]
「平家物語」はYoutubeで聞いた。これは尾崎士郎現代語訳の朗読版、最終版第12巻まである。私の蔵書は「吉村昭の平家物語」(講談社文庫)である。「方丈記」はNHKカルチャーラジオで1年ほど、方丈記、無名抄、発心集を浅見和彦解説でやっていた。この鴨長明三部作の紙媒体については、下記の資料欄の通り。
[注1]
兼好法師の徒然草では、作者が信濃前司行長とあるが、一般的には確定ではないとのこと。徒然草第226段「後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉れありけるが(中略)この行長入道、平家の物語を作りて、生佛といひける盲目に教へて、語らせけり。」
[資料]
1. 浅見和彦(校訂・訳):鴨長明 方丈記, ちくま学芸文庫, 2011
2. 保田淳(訳注):鴨長明 無名抄, 角川ソフィア文庫, 2013
3. 浅見和彦・伊東玉美(訳注):鴨長明 発心集(上・下), 角川ソフィア文庫, 2014

2023/11

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