3年前ほど前に「ひとつまたひとつ」の題名で、テオドール・シュトルムTheodor Storm (1817-1888) の作品に触れた。その中で、「あらためて読んで驚かされるのは30代前半のものと60歳近くでのものがほぼ同じ傾向を持って、人生の侘び寂びや避けられない運命と悲劇を描いている」と書いたことが気になっていた。というのは、適当に流し読みをした感想なので本当にそうなのか気になっていた、というわけである。今回は、「みずうみ」(1849年32歳)と「溺死」(1876年59歳)を再読した。テオドール・シュトルム[Website 1]。
資料6で高橋義孝は、あとがきに「…愛と死の関係をシュトルムほどにこまかに描きだした作家は少ないだろう。…。シュトルムのどの一行にも、死の予感が漂っていて、それが事件に薬味の役割をつとめている。死の予感をこれほどさまざまなニュアンスにおいて描いた作家も少ない。」と書いている。2つを読み終えるとその通りと思われる。他の作品はどうなのか、あと2つほど読んでみた。「陽をあびて」Im Sonnenschein(1854年37歳)と「聖ユルゲンにて」In St. Jürgen(1866年49歳)。以下《 》内は資料からの直接引用である。
「みずうみ」[資料3, pp.5-51]語り手は作者、登場人物はラインハルト、エリーザベト、エーリッヒ、ほか。老人ラインハルトが散歩から戻り、部屋には夕闇が迫る。
《 「エリーザベト」と、老人は低い声で言った。そして、そういったかと思うと時代はかわって、老人は幼いころに立ちかえった (p.7) 》
二人は幼馴染であり、愛し合っていた。ラインハルトには故郷にエーリヒという友人がいる。大学生となり、ラインハルトが故郷を離れているときに母からの手紙で、エリーザベトがエーリヒからの求婚を承諾したと知る。裕福な人との結婚をのぞむ彼女の母の強い希望を入れて、とのこと。故郷に戻った時、ラインハルトは今や大きな農場を運営するエーリヒに自宅へ招かれる。ラインハルトにはエリーザベトと美しい自然に囲まれた湖やその周囲を散策し、語り合うひとときがやってくる。そしてラインハルトの帰る日が来る。
《 彼女は彼の腕に手をかけて唇を動かした。しかし、ひとことも聞きとれなかった。「もどっては来ないのね」と、ようやく彼女は言った。「わかってるわ。嘘いわないで。二度ともどっては来ないのね」「ええ」と彼は言った (p.50) 》
Sie legte die Hand auf seinen Arm, sie bewegte die Lippen, aber er hörte keine Worte. »Du kommst nicht wieder,« sagte sie endlich. »Ich weiß es, lüge nicht; du kommst nie wieder.« »Nie,« sagte er.
(資料[10], p.38)
時間は現在にもどり、老人は暗い部屋に佇んでいる。
《 それから、彼はさらに椅子を机のそばにひきよせて、ひろげてあった本を一冊とって、自分がかつて青春の力をそそいだ研究に没頭した (p.51) 》
老人が過去を思い出し、現実に帰る。過ぎし日の恋物語が美しい自然描写の中に書かれている。最後の別れのあと、エリーザベトとの恋を胸にラインハルトは独り身で過ごしたのかもしれない。
「溺死」[資料7, pp.53-167]語り手は「わたくし」、登場人物:画家ヨハネス、カタリーナ、ヴルフ、ほか。「わたくし」は、当時ラテン語学校(今の日本の中学校・高校にあたる)に通っていた。故郷の近郊の村の教会に子供のなきがらの絵があり、C.P.A.S.との銘が入っているのが気になっていた。A.S.はAquis Submersus「溺死せり」ということ、C.P.は牧師の話ではCasu Periculoso「危険なる偶然により」ではないか、とのこと。「わたくし」はCulpa Patris「父の罪により」ではいけないか、と提案する。それから幾年かが過ぎ「わたくし」は大学を終え故郷の街に戻って来る。ある家の破風に次のような銘が刻んであるのに気づく。
《 人の命のはかなく消ゆるは/げに煙と塵に違うことなし (p.63) 》
この家(現在パン屋)には生徒の頃パンを買いに来ているが、銘には目がいかなかった。今回この家人と話す機会があり、二階の部屋にある絵(紳士の腕があの子供の遺体を抱いている)を見せてもらい驚く。家人の先祖の画家が百年以上も前に描いたものとのこと。そばの箱には古い数葉の紙片(画家ヨハネスの手記)が入っていた。それを読み進むうちに「わたくし」は紙片の内容に没入していく。
紙片の中身より。1661年ヨハネスが語り始める。平民ヨハネスと貴族の娘カタリーナは幼馴染である。彼は彼女の父親の支援でオランダでの画業の修行に出かけることになる。オランダから幾度か帰郷し、カタリーナとの出会いがあるが、彼女の兄ヴルフやその悪友クルトとの喧嘩を含めた葛藤をやり過ごしていく。そのような中でカタリーナと一夜を過ごすことがあった。貴族の娘とはここでは結婚できないので、オランダで一緒になろうという計画で、落ち合う場所を決める。しかし時代の混乱やタイミングの悪さにより出会うことができずに、数年が過ぎていく。
「わたくし」は、手記の二冊目を読み始める。この家の破風の銘(人の命のはかなく消ゆるは/げに煙と塵に違うことなし)はヨハネスが備えたことが暗示される。時は1666年、ヨハネスが再び語り始める。ある牧師の肖像画の仕事を引き受けて、近郊の村の教会へ通うことになる。そこの牧師の妻がカタリーナであることがいずれ分かる。
《「カタリーナ、それじゃ君はあの牧師の奥さんだったのか」うなずきもせず彼女は、悲しげにじっとわたしをみつめた。「彼はわたしと結婚した代わりにいまの職にありついたのです」と彼女は言った。「そのお陰で、あなたの子供も父無し子にならずにすんだのです」「ぼくの子供だって、カタリーナ?」「じゃああなたはお気づきにならなかったのですか。膝にお抱きになったじゃありませんか、ほらあの時、あの子が自分でそうわたしにいいましたよ」 (p.154) 》
»Katharina, – – so bist du des Predigers Eheweib?« Sie nickte nicht; sie sah mich starr und schmerzlich an. »Er hat das Amt dafür bekommen“, sagte sie, »und dein Kind den ehrlichen Namen.« – »Mein Kind, Katharina?« »Und fühltest du das nicht? Er hat ja doch auf deinem Schoß gesessen; einmal doch, er selbst hat es mir erzählet.«(資料[11], p.71)
このあと、事態は暗転する。子供が池にはまって溺れるのである。ヨハネスはその子(自分の息子)の遺体の絵を完成させ、目立たないところにC.P.A.S.と記す。Culpa Patris Aquis Submersus(父の罪により水に沈む)。語り手は手記を読み終えた。「わたくし」が少年時代にあの教会で見た子供のなきがらの絵は200年ほど前に画家ヨハネスが描いたものである。ヨハネスが絵を完成させる場面は次のようである。
《それからわたしは、死体をそっと蒲団の上に戻し、静かに両眼を閉じてやった。そして、黒味がかった赤の絵具の中に筆をひたし、絵の下の目立たないところに、C.P.A.S.の四文字を記した。それはCulpa Patris Aquis Submersusすなわち「父の罪により水に呑まる」というつもりであった。−そして、鋭い剣のようにわたしの魂をえぐるこの言葉の響きを耳にしながら、わたしはその絵を仕上げた。(p.164) 》
「陽をあびて」[資料8, pp.64-117]二部に分かれている。一部では少女フレンツヒェンと恋人コンスタンティンとの若き日の恋物語が描かれる。二部は一転してその60年後、少女フレンツヒェンの兄嫁とその男孫マルティン(つまり祖母と孫)との会話となる。日の射すその居間には孫にとっての曽祖父母、祖父母、祖父母の妹の肖像画が掲げられている。フレンツヒェン(マルティンには大叔母である)は未婚のまま若き日に病を得て亡くなったことが語られる。同じ頃、古くなった墓地の再建工事の中で少女の胸にあった首飾りが見つかる。
《日光はくもった水晶の中にさしこんで、中にある黒い捲毛を照らした (p.115) 》
これが少女の恋人コンスタンティンのものであることが暗示される。美しい日々があり、時間が過ぎてゆく。
「聖ユルゲンにて」[資料2, pp.65-120]語り手「私」が聞き語るアグネス・ハンゼンとハルレ・イェンゼンの生涯。実家の困難とその後の破産をへて「私」の町にある聖ユルゲン修道院でハルレを待ち続けるアグネス、運命により故郷に戻れなかったハルレ。50年を経てようやく帰郷するハルレ、その直前に亡くなるアグネス。
《「遅すぎましたね。ハルレ・イェンゼン」と私は痛ましくなって声をかけた。老人は顔をあげてうなづいた。「五十年遅すぎました」と彼は言った (p.119) 》《 帰りしときは、帰りしときは、すべては空し (p.120) 》
で物語は終わる。
4作品を読むと、「みずうみ, 1849 」<「陽をあびて, 1854 」<「聖ユルゲンにて, 1866 」<「溺死, 1876 」の順序(ということは作者の執筆時期順)で、男女の愛の深さに対抗するかのように別れや死という宿命が重みを増してくる。この世にいることの無常が迫ってくる。この人は専従作家ではなく、弁護士、判事、知事などを歴任した法曹の実務家である。そのような生涯の中で、時代と文化を超えて人の心を捉える不思議な作品群を多数残している。日本語訳は1930-60年代に多く出ている。彼が生きていた時代の約100年後である。下に挙げた訳本の日本語はいずれもすばらしいものである。各所に挿入されるシュトルムの韻文は文語体の七五調などに美しく訳されている。このころ旧制高校、新制大学教養部などで盛んにドイツ語が学ばれていたという時代背景があるだろう。訳本の出版状況からみても、その後はシュトルムは日本ではあまり関心を持たれていないのが残念である。
[Websites]
(1) https://ja.wikipedia.org/wiki/テオドール・シュトルム
[資料]日本語訳
[1]「三色菫・溺死」(伊藤武雄訳), 岩波文庫、1935
[2]「海の彼方・聖ユルゲンにて」(國松孝二訳), 岩波文庫, 1940
[3] 「みずうみ・人形つかい」(國松孝二訳), 角川文庫, 1951
[4]「三色すみれ・水に沈む」(北通文訳), 角川文庫, 1952
[5]「みずうみ他四篇」(関泰祐訳), 岩波文庫, 1953
[6]「みずうみ」(高橋義孝訳), 新潮文庫, 1953
[7] 「三色菫・溺死」(高橋義孝訳), 新潮文庫, 1957
[8]「シュトルム短編集」(小塚敏夫訳注), 大学書林, 1961
[9]「水に墜つ(シュトルム選集第四巻)」(川崎芳隆訳), 清和書院, 1959
[資料]ドイツ語原文
[10] Theodor Storm: Immensee, in Immensee und andere Novellen, Insel Taschenbuch 732, pp.9-38, 1983
[11] Theodor Storm: Aquis submersus, in Carsten Curator und andere Novellen, Insel Taschenbuch 734, pp.9-79, 1983
[12] Theodor Storm: In St Jürgen, in Pole Poppenspäler und andere Novellen, Insel Taschenbuch 733, pp.7-44, 1983
[13] Im Sonnenschein: Novelle by Theodor Storm, Project Gutenberg, https://www.gutenberg.org/ebooks
[付記]
ラインハルトとエリーザベトの別れ、ヨハネスとカタリーナの出会いの場面のドイツ語原文を載せた。これらは大学1年のドイツ語で初級文法を終了すれば、比較的簡単に理解できる文である。シュトルムの文章は平易、語彙は150年前なので辞書が必要な場面もあるが、規則ずくめのドイツ語文法のおかげなのだが、初級文法を終えると、英語のように文構造を見極める技術があまりいらない。「英文解釈」に対応するような「独文解釈」は成り立たないと思う。
2024/10