新聞を読まない、テレビの時事関係を見ない、となってからしばらく経つ。紅旗征戎吾が事に非ず[注1]、を決意しているつもりなのだが、たまに土曜日の朝日新聞と日経新聞を買いに行く。朝日地方版に「みちのく歌壇」、日経には「日経歌壇」が載るためである。2025年6月7日に掲載された作品に次のようなものがあった。
〈母の日の無欲な母を叱りしに欲りしものなき我となりたり〉
どのような状況なのだろうか、母の日にお母さんになにかプレゼントしようとして何もいらないといわれたのだろうか、あるいはなにか別のことがあったのだろうか。つまらないことで母を叱ってしまった。そして今、自分が何もいらない者になっている。これは私自身である。介護の日々、些細なことで母を叱った。9年も前のことだ。母の表情を思い出し、いまでも悔いている。私の全人生を支えてくれた母を叱るとは…。そして今度はまもなく私自身が息子に叱られる番となるのだろう。このようにして親子のこの世が繰り返される。
母が亡くなり7年、衰えた母との日々からもう10年以上も経つ。いまや私自身の体力と気力が衰え、したいことや欲しいものがなくなっている。生まれてきて、希望や努力、実現する意志、このような無形のものを知る。そしていま去りゆく命ととどまる命が交錯する時期に入っている。
[注1]以前のブログ「紅旗征戎吾が事に非ず」を参照。
2025/06