- 川合康三(選訳):李商隠詩選, 岩波文庫, 2008
この本は2010年頃にたまたま書店で目にして手に取ったものである。李商隠(812-858)という詩人は聞いたこともなかった。編訳者の川合康三という学者も知らなかった。しかしこの本(以下、川合2008)の文庫本解説は詳細を極めており、李商隠の詩とその説明も心を動かされるものであった。1200年も昔の作者の心持ちが、昨日作ったもののように伝わってくる。
初めて「漢文」というものに触れたのが、中学3年の国語の時間である。今はもう中学校では漢文はやっていないのではないかと思いつつ、Wikipedia「中学校国語_漢文」を見ると
「中学校の教科書の漢文では、一年生では故事成語を習い、二年生以降杜甫、李白、孟浩然、王維などの唐代の盛唐四大家の詩と論語を学ぶ。 学習内容は、レ点や一二点、漢詩(絶句、律句などの形式)である。」
となっていて、程度の高さに驚いた。私は中1と中2では習っていないと思うが、中3の時の国語の時間に杜甫の「春望」に出会った。例の「国破れて山河あり」である。訓読文というのが面白いと思った。その後、高校の漢文の授業でいろいろと習ったはずであるが、ほぼ覚えていない。その後も名著吉川幸次郎の「新唐詩選(正・続)」や王維詩集や李白詩選(岩波文庫)などが私の蔵書にある。ただ全体的に中国詩に感動したというような記憶はない。中国詩文は日本の中国文化の受け入れの長い歴史の中で、日本人の知的生活を活性化してきたものであると思う。言うまでもなく江戸時代のインテリ階層には漢文漢詩は欠かせないものであったろう。幕末生まれで明治に活躍した人々の基礎教育も、四書五経から始まる中国古典による教養教育である[注1]。かたや、私および多分私の世代にとってはあまり意味のあるものではないのではないか。国語の問題に出るので、しかたなく漢文を勉強したというふうに。
若い頃に出会った漢詩唐詩で覚えているものはほとんどないが、自分の蔵書とインターネットに探ってみた。次のような詩に見覚えがあった。前者が王維(669-761)、後者が李白(701-762)である。
鹿柴 王維
空山不見人 空山 人ヲ見ズ
但聞人語響 但人語ノ響クヲ聞クノミ
返景入深林 返景 深林ニ入リ
復照青苔上 復タ照ラス 青苔ノ上
静夜思 李白
床前看月光 床前 月光ヲ看ル
疑是地上霜 疑ウラクハ是レ 地上ノ霜カト
挙頭望山月 頭ヲ挙ゲテ 山月ヲ望ミ
低頭思故郷 頭ヲ低クシテ 故郷ヲ思ウ
「復た照らす青苔の上」、「頭を低くして故郷を思う」、自然詩というものだろうか。李白の「静夜思」のほうが詩を作っている状況と本人の思索が調和していると思うが、私の印象はというと、いずれもああそうですかという程度である。
これに対して、李商隠の詩は新鮮である。心に残った詩をふたつ選んでみた。いずれも男女間の関わりを描いている。私はたまたま李商隠しか知らないのだが、このように男女の愛をあからさまに描くというのは、中国詩史の伝統にはないのではないだろうか。下は「夜雨、北に寄す」というタイトルである。川合2008の説明を参考に意訳をしてみる[川合2008, pp.54-56を参考]。
夜雨寄北
君問帰期未有期 君 帰期ヲ問ウモ未ダ期有ラズ
巴山夜雨漲秋池 巴山ノ夜雨 秋池ニ漲ル
何当共翦西窓燭 何当カ共ニ西窓ノ燭ヲ翦リ
却話巴山夜雨時 却ッテ話サン 巴山夜雨ノ時
〈意訳〉君は帰る日を訊ねてきたね、でも帰れる日はわからないんだ。秋の夜の冷たい雨が降りしきる。何時になるのだろうか、夜の雨が降りしきる今このときのことを、あの窓辺で共に語り合えるのは。
詩人は四川省に勤務している。「北」はたぶん長安の都であろう。川合2008は「北という方角だけをいうところからも、秘められた恋人に寄せた詩とするのがふさわしい」と言う。西の窓というのは、女性の部屋がしばしば西向きである、「翦西窓燭」はろうそくの芯についた燃えかすを切り取って明るくする、とのこと。最後の一行が不思議な句である。いつになるだろうか、今いるこの巴山の夜雨ことを西の窓辺で語り合えるのは。川合は解説を次のように結んでいる。「夜雨が秋の池に漲るのは、切ない思いが胸にあふれそうになる心象を移してもいる。短い詩ではあるが、そのなかで現在と未来が錯綜する。現在から未来を想定して、その未来の時点からすでに過去となっている現在を振り返る、そのことを今現在の時点から想う」[川合2008, p.56]。読んだ後しばらく思いを遊ばせると、この詩全体に流れるなんとも言えない寂寥感が心に満ちてくる。彼のこの時の想いを共有することができる。
次の「無題」は、最初の2行で「昨夜の星、昨夜の風、画楼の西、桂堂の東」と逢引きの時間と場所を特定し、その後でこの叶わぬ恋の切なさを抒情に結実させている。彼の詩には、このような一般化しえない彼個人の悲しみを込めたものが多い。そこに彼の詩の訴える力の源があると思う。意訳は、川合2008, pp.108-111を参考にしている。
無題
昨夜星辰昨夜風 昨夜ノ星辰 昨夜ノ風
画楼西畔桂堂東 画楼ノ西畔 桂堂ノ東
身無彩鳳双飛翼 身ニ彩鳳双飛ノ翼無キモ
心有霊犀一点通 心ニ霊犀一点ノ通ズル有リ
隔坐送鉤春酒暖 座ヲ隔テテ鉤ヲ送レバ春酒暖カク
分曹射覆蝋燈紅 曹ヲ分ケテ射覆スレバ蝋燈紅ナリ
嗟余聴鼓応官去 嗟ア余 鼓ヲ聴キテ官ニ応ジテ去リ
走馬蘭台類断蓬 馬ヲ蘭台ニ走ラセテ断蓬ニ類ス
〈意訳〉昨夜の星、昨夜の風 ― その星影の下、風の舞う中、私たちは画楼の西、桂堂の東にて密かに会ったのだった。身は結ばれていなくても、心が通じている私たちは共に時間を過ごした。ああしかし私は、朝になって宴の席から公の場に去らなければならないのだ。
川合2008(pp.110-111)から、第5-6行目の語句の説明を転写しておく。〈「隔坐」対座すること。「送鉤」蔵鉤という遊び、「鉤」は裁縫で使うゆびぬき。誰の手にゆびぬきがあるか当てる。「分曹」二組に分かれる。「曹」はチーム。「射覆」器の中に隠した物の名を当てる。〉このような心躍る時間を過ごしたが、別れのときは来る。李商隠が語る不条理は、シュトルムの小説「溺死」のヨハネスとカタリーナ、「聖ユルゲンにて」のアグネスとハルレ、そしてベルリンの森林太郎とエリーゼ・ヴィーゲルトも直面しなければならなかったものだ。人は運命というが、いつの時代でも残酷に時間は過ぎてゆく。9世紀の中国、17世紀のドイツ、森鴎外のベルリン、そして今日と、いつの世にも変わらないものがある。だれもが老いの日を過ごす中で、取り戻すことのできない人生を振り返る。さまざまな思い出が脳裏に湧き上がる。そして李商隠のような文学に目を向けて自分を納得させようとするのではないだろうか。
[注1]
吉川幸次郎:漱石詩注, 岩波文庫, 2002
鴎外歴史文学集〈第12巻〉漢詩(上), 岩波書店, 2000
鴎外歴史文学集〈第13巻〉漢詩(下) , 岩波書店, 2001
[参考]
川合康三(編訳):新編中国名詩選(上中下), 岩波文庫, 2015
松浦友久(編訳):李白詩選, 岩波文庫, 1997
小川, 都留, 入谷(選訳):王維詩集, 岩波文庫, 1972
吉川, 三好:新唐詩選, 岩波新書, 1952
上を書いてしばらくして、李商隠について探索していた際に下の本がでていることを知り、古本屋でこれ(高橋1958)を求めた。高橋和巳(1931-1971)といえば、私の世代には1960年代大学の全共闘運動のシンパとして有名な人である。京都大学の中国文学研究者とは知らなかった。
- 高橋和巳(注):李商隠(中国詩人選集15), 岩波書店, 1958, 223p.
高橋1958は大学紛争よりはるか前の彼の27歳ごろの著作である。この選集シリーズの編集・校閲が吉川幸次郎と小川環樹であるが、彼は吉川に師事している。Wikiによれば、1959年に博士課程を終えているので、本書執筆時にはまだ学生だったわけだ。この若さでこのような著作をものにしている。優秀な学生だったのだろう。ただし、上に取り上げた詩2篇「夜雨北に寄す」と「無題」の解釈は川合2008とはだいぶ趣が異なり、字句通りの単調な説明となっており、若さゆえの経験不足はやむを得ないことだろう。巻末に吉川が「跋」を書いているが、こちらが李商隠の詩文と自分の歩み来た道を率直に対応させており、たいへん興味深く読んだ。
[吉川幸次郎「跋」, 高橋1958, pp.219-223]
私がはじめて李商隠の名を知ったのは、「三体詩」にえらばれたその七絶また七律何首かを読むことによってであったであろう。そのときのおどろきは、この選集によって彼の詩をはじめて読む人人のいだくであろうおどろきと、おそらくは相似たものであって、かくも耽美的な詩人をも、中国はもつということであった。(中略)最後に今一つのことをのべたい。青春を歌う彼の文学は、文学から毒を受けやすい青春の日に読むのこそふさわしい。私自身についていえば、杜甫の詩、あるいは李白の詩を、さいしょに私が読んでうけた感動と、今もつ理解とは、いろんな点で距離がある。そうして今の理解の方がより正しいように、私には思われる。しかるに李商隠の詩は、三十年前まだ大学生であったころに読んでうけた感動と、同種の感動が、今もつづいている。ただそのころは「無題」の詩を読むと、心臓の鼓動が高まったのに、今は高まらないだけである。すこし誇張していえば、私は若いときこの詩人に接していなかったとしたら、終生この詩人を愛する機会を失ったかも知れない。そうして人間の問題について、より少くしか考えなかったかも知れない。一九五八年七月
2025/05