一人の無名作家

以前「方丈記と平家物語」という小文を書いた後で、「徒然草」に平家物語の作者名が出てくることが分かり、その旨脚注に記した。その名は信濃前司行長であるが、文献的には現在でもこの人が平家物語の著者であることは確定はしていないとのことである。ところで、先日たまたまYoutubeにて「平家物語の誕生秘話『独創者の喜び』/一人の無名作家」[Website 1]という朗読を聞いた。これは3部に分かれていて、(1) 芥川龍之介「一人の無名作家」、(2) 中谷宇吉郎「一人の無名作家」(3) 中谷治宇二郎「独創者の喜び」の3作品である[資料1]。芥川が、名前は忘れたがある作家の作品が忘れがたいという短文を綴っている。そして中谷宇吉郎がこの無名作家は自分の弟の治宇二郎であると書いている。中谷治宇二郎の「独創者の喜び」は、旧制小松中学の文芸誌「跫音」第二号に掲載されたものである。その後、石川県加賀市の中谷宇吉郎雪の科学館[Website 2]がこの3作品を載せた朗読テキスト[資料2]を販売していることを知り、注文入手した。

[資料2]p.11 (注と解説2) よりの引用:
《「平家物語」は初め三巻本だった(証拠はない)のが六巻本(実証あり)となり、やがて1240年までには十二巻本となったと言われる。その間の作者は十数人とも言われるが、信濃前司行長はその重要な一人と考えられている。(中略)1360年ごろ、生仏の流れを汲む覚一が検校となり、この覚一のころに、十二巻の「平家物語」に「灌頂巻」が特立され、物語をしめくくる重要な意味を持つようになった。(中略)従って信濃前司行長が「灌頂巻」と意識して物語を書き進めたとは考えにくい。》

平家物語の灌頂巻の大原御幸には、次のような文がある。「甍(いらか)やぶれては霧不断(ふだん)の香(かう)をたき、枢(とぼそ)おちては月常住(じやうぢゆう)の灯(ともしび)をかかぐ」(屋根瓦が破れて、堂内に流れ込む霧は、絶え間なく炊き続ける香の様でもあり、扉が落ちては、月の光が室内に差し込み、いつまでも消えない灯火を掲げているようだ)〈原文と現代語訳は「平家物語 原文・現代語訳・解説・朗読」[Website 3]より引用〉。

中谷治宇二郎の小説「独創者の喜び」はこの箇所を問題にしており、3節に分かれている。1節では、信濃前司行長の執筆の最中を描いている。行長はある箇所に至り自分の知識の限りの和書漢籍を参照しながらも、いいアイデアが思い浮かばなかった。ある瞬間ふとひらめいた自己のこの表現「甍破れては霧不断の香をたき、枢おちては月常住の灯をかかぐ」を問題の箇所にはめ込んでいる。2節での舞台は時代が下って、羽林中将定俊卿なる人物が平家物語の解釈本執筆の終わりに近づくところである。大原御幸にさしかかり、「甍破れては霧不断の香をたき、⋯」で引っかかる。この表現について、これまでの注釈本や参考本を駆使してもわからず、いずれにも「出所不詳」とあるのみである。定俊は仕方なく自分も出所不詳として諦める。3節では大正時代の旧制中学の教師が平家物語大原御幸の講義をしている。ここでまたしても「甍破れては霧不断の香をたき、⋯」の出所不詳が問題となる。行長の創造の世界が分からなくてもかまわないと思うのだが、教師は自分の研究が足らぬかのように生徒らを見回す。ある生徒がつぶやく、これは独創者の喜びというものだと。

概要はこのようなものである。上記の引用より、平家物語灌頂巻は信濃前司行長が関わっていないのだから「甍破れては霧不断の香をたき、⋯」の文言を彼に帰することはできないと断言することも論理的には可能だが、行長にはこれに似たような著作上の苦しみと喜びがあったと考えておくのはどうだろうか[付記1]。なお、中谷治宇二郎は旧制中学5年生18歳でこれを書いている。芥川は七八年前のこととして同人雑誌に載ったこの作品を覚えていて、その3節構成までを詳述している。よほど印象に残ったのであろう。私は朗読を聞いた後に原文も読んでみた。このわずか18歳の少年の詳細な知識や文章表現にたいへん驚いた。彼はその後大学へ進学し人類学と考古学の分野で働くことになるが、残念ながら1936年に34歳で早世してしまう。研究活動を含めたその生涯を詳述した本[資料3]が最近出版されている。

[Websites]
(1) 平家物語の誕生秘話『独創者の喜び』/一人の無名作家
(2) 中谷宇吉郎雪の科学館
(3) 平家物語 原文・現代語訳・解説・朗読
[資料1]
芥川龍之介:一人の無名作家, 芥川龍之介全集第十三巻, 1996(初出:文章倶楽部、1926)
中谷宇吉郎:一人の無名作家, 西日本新聞 (昭和30年7月18日), 1955
中谷治宇二郎:独創者の喜び,「跫音」第二号, 1920
[資料2]
神田健三(篇)・神田和恵(注釈他):朗読用テキスト 中谷治宇二郎の「独創者の喜び」と「片津山温泉」, 中谷宇吉郎雪の科学館友の会, 2016, 32p.
[資料3]
法安桂子:幻の父を追って(早世の考古学者中谷治宇二郎物語)[改訂版], 幻冬舎, 2022, 191p.
[付記1]次のような記載が[資料2, p.13](注と解説28)にある:
《(前略)この漢詩の出所は今も不明。丸谷才一「猫のつもりが虎」所収の「夜中の喝采」には、水原一校注の「源平盛衰記」(新人物往来社)の注に「棟の甍半ば破れ秋の霧不断香に代る」(弘長三年八月十三日宣旨)などによる、とあるのを見つけて、「わたしとしては、もとの漢詩がこの宣旨と平家の双方に引いてあるのだと思いますが、とにかく大発見です。秋の夜中、たった一人で拍手喝采しました」とある。しかし弘長三年は1263年のことで、平家物語はおろか、源平盛衰記の成立年代よりも後の宣旨であることを、水原氏は見逃している。(中略)平家物語1240年ごろ成立、源平盛衰記1259年ごろ成立、弘長三年宣旨1262年。これらの年代を見れば、宣旨のほうが平家物語を参照、引用したと考えるのが普通ではあるまいか。源平盛衰記の校注者は、関連記事を記したとは言えるが、この句の「未考得」を解いたことにはならない。従って、「独創者の喜び」の作者中谷治宇二郎による仮説も、まだ破られたとは言えない。》
 なお上の「夜中の喝采」は次に所収されている。丸谷才一:猫のつもりが虎、文春文庫、pp.125-132、2009。


2024/12

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