鳴海風:「ラランデの星」(新人物往来社)2006
本書は、高橋至時(1764-1804)および江戸時代後期の天文学と暦学の人物模様を「ラランデ暦書」を中心に描いている。他の登場人物は、伊能忠敬、高橋景保(至時長男)、渋川景佑(至時次男)。高橋至時の命をかけた研究活動と惜しまれる早世がよく描かれている。長男作助(後の景保)の青少年期の父親に対する反抗心、勘解由(伊能忠敬)の出世欲、名誉欲などの描写が読んでいてあまり気持ちが良くない。特に作助の遊女との性交渉描写はこのような物語では不必要ではないか、違和感がある。作助の父親への反抗心はこの長編の前半ほぼ3分の2にわたって散発的に繰り返し描かれる。伊能忠敬が測量の旅で地元民と問題を起こす側面も詳細である。至時、忠敬、景保、景佑、いずれも近代日本の夜明けに大きな足跡を残した人物たち。忠敬と景保の否定的な面について著者にはデータの裏付けがあったのかもしれないが、ドキュメンタリー風に清潔に描いてもらいたかった。父没後の二人の息子たちの活躍、間重富の尽力をもう少し綿密に書いてもらいたかった。
忠敬の遺言は、敬愛する至時の墓の隣に自分を葬ってくれというもの。二十歳も年下の至時を自分の師と仰いた忠敬、この当時の人のリアルな霊魂観が偲ばれる。Wikipediaによれば、至時、忠敬、景保の三人は同じ墓地に並んで葬られている。東京上野の源空寺。ラランデ暦書は、フランスの天文学者ジェローム・ラランドが1770年代に著したものだが、江戸時代に長崎を経由して日本に入ったのはそのオランダ語訳で、時期は1800年頃と推定されている。
以下、小説の後日談となる。高橋至時の長男と次男、男子ゆえその成長期には父親の天才との葛藤に悩み続けたが、ふたりとも親の才能を受け継ぎ、父没後の天文学の業績を積んでいく。両者とも江戸幕府の天文台に勤めた。長男景保は伊能忠敬の没後の日本地図製作に関わり「大日本沿海輿地全図」を完成させるが、伊能地図の国外持ち出しに関するシーボルト事件に連座して1829年獄死した(Wikipedia高橋景保の項に詳述)。人材を失うという発想のない当時の幕府官僚制度の非情を思う。次男景佑は渋川家(江戸初期の貞享歴を作った渋川春海の家系)に婿入りし、日本最後の太陽太陰暦である天保暦を完成させている。父親が情熱を込めた「ラランデ暦書」の和訳はこの息子たちが継承している。わずか40年の生涯であった高橋至時の人格と仕事は、当時およびその後の人々に大きな影響を与えたのだった。
2023/07
鳴海風:「星に惹かれた男たちー江戸の天文学者間重富と伊能忠敬」(日本評論社)2014, 239p.
嘉数次人:「天文学者たちの江戸時代(増補新板)」(ちくま文庫)2024, 262p.
その後、上のような著作が出ていることが分かり、読了した。囲碁棋士渋川春海 (1639-1715)、医師麻田剛立 (1734-1799)、武士高橋至時 (1764-1804)、商人間重富 (1756-1816)、商人伊能忠敬 (1745-1818)を中心とする、いずれも江戸時代に天文学研究と改暦事業に打ち込んだ人々の物語である。この時代の身分制度や鎖国制度などさまざまな制約を乗り越えながら、師弟愛、友情なども描かれており、理想に向けて邁進する人間像にたいへん感動した。
2024/09